労働運動は、働く者が人間らしい暮らしを取り戻すために、ヒューマニズムを原点として生まれ、公正で豊かな社会づくりのために大きな貢献をしてきました。時代は変わっても、その役割はますます大きく、幅広くなってきています。
労働運動の発生
史上初めての労働組合は、イギリスで誕生しました。18世紀にヨーロッパで産業革命が起こり、初めて雇う者と雇われる者の関係ができ、貧富の差が大きくなってきました。自分の働く力以外に何ももたない賃金労働者は、低賃金・長時間労働という過酷な労働条件のもとで、苦しい生活を強いられていました。このような中から、働く者は「人間らしい生活」を求めて立ち上がり、労働組合を結成し、ストライキなどの手段で雇主に改善要求を訴えたのです。
しかし、働く者の団結をいやがる政府や雇主から、団結禁止法などによって厳しい弾圧を受けましたが、働く者は闘い続け、悪法を改正し、働く者の権利を確立し、社会改革の担い手として成長してきました。
今日では、憲法や法律で守られ、公正で民主的な社会の発展になくてはならないものになっています。
戦前の日本の労働運動の歩み
日本では明治時代に、富国強兵・殖産興業の政策によって近代化の波が起こり、多数の賃金労働者が生まれました。労使関係は、まるで主人と奴隷のような関係で、今では信じられないほどの非人間的な労働条件に苦しんでいました。
そうした中で、明治30年、労働組合期成会がつくられ、日本の労働運動がスタートします。そして、イギリスと同じように、ストライキなどを激しく取り締まる治安警察法などがつくられ、労働組合は弾圧されました。
大正時代になると、鈴木文治の指導によって友愛会がつくられ、日本最初のナショナルセンターとして、地歩を固め、その後の総同盟へと発展していきます。
しかし、その後、共産主義の参入により分裂し、無産政党と呼ばれた労働者を代表する政党も分裂しています。
昭和に入り、国家総動員法の公布や産業の国家統制を目的とした産業報国会の結成などの動きの中で、労働組合は解散を余儀なくされ、戦前の労働運動は、終わりを告げます。
戦後の日本の労働運動の歩み
第二次世界大戦が終了後、憲法によって「労働三権」が保障され、労働三法などの各種の法律によって働く者が守られるようになりました。戦前は、労働組合を保護する法律は一つもなかったのです。
労働組合は企業ごとに結成され、その結集体として「総同盟」が結成されました。しかし一方で共産党に指導された「産別会議」ができ、民主的労働運動とマルクス・レーニン主義にもとづく階級的労働運動(共産主義的労働運動)との対立という形で戦後の労働運動はスタートしました。
経営者を敵とみなし、企業をつぶし、共産主義革命を起こそうという階級的労働運動は、無謀なストライキを繰り返し、一方、民主的労働運動は、職場を民主化し、良好な労使関係を築き、今日の日本の繁栄をもたらしてきたのです。
民主的労働運動は、戦後の物のない時代には衣食住の充実、高度成長期には経済発展の基礎となった生産性向上の運動、というように、真の働く者の幸福をめざして、時代の要請にあった運動を一貫して進めています。